・大島商船
・夏の海水浴
・ミカン
・瀬戸内海航路の要衝
こういったことはおぼろげに知っていたが、1番知りたかったのは「移民」のこと。
コナコーヒーで有名なハワイ島との人的交流を描写するNHK特番も視聴した。
周防大島のハワイ移民史を知ったのは10年くらい前。昨日、現地の「日本ハワイ移民資料館」に初めて足を運んだ。
ようやく行く気になった。
資料が収集され、初めて知ることばかり。
92歳で逝った父方の祖父が船乗りだった。私が幼少の頃から、神戸から移民を乗せた移民船(大型貨客船)の少年船員だったことを何度も聞かされた。
船乗りを輩出する長崎県島原半島の最南端、口之津(くちのつ)の出。
もう80年も前のこと。初代の「あるぜんちな丸」などに乗ったと話していた。
祖父は船内エンジン部の機関士だったので、移民の方と言葉を交わしたのかどうか。
「棄民」ともいわれる移民政策。資料館のガイドさんは「いろんな目的の移民があった」と教えてくれたが、総じていえるのは、やはり、経済的な「貧しさ」。
約150年前の当時と今。
物資的には恵まれる「今」かもしれないが、国民の多くが数千万円という高額な住宅ローンを背負うことにより、世の経済を回していく「今の世」もまた厳しい。
国も、国民も、ただひたむきに頑張れば、すべてが上向くことを前提とした〝日本丸〟のこの先。天然資源枯渇が叫ばれ続ける地球経済の中で、今後どうなるのか。
働き続けること、稼ぎ続けること、止まるとすべてが終わる人生の過酷さ。今も昔も同じだ。
「移民」をほんの少し学んだ。
行ってよかった。
■「日本ハワイ移民資料館」の展示品。福元氏遺宅が現在、資料館として活用されている
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