340 73歳まで船乗りだった祖父の航跡

初孫の私は、92歳まで生きた祖父・時定さんとよく会った方だと思う。老後の船釣りにも何度か付き合った。船酔い知らずだった。必ず船のともに座り、手釣りでアラカブを釣って喜んでいた。

酒に酔うと、戦争の話をした。海軍でつまらん上官よりゲンコツで何度も殴られた話を繰り返した。歳の離れた長男を猛烈に嫌っていた。海軍人で少尉だったらしい。

祖父は生粋の船乗りだった。10代のときは、神戸から南米を目指した〝移民船〟に乗っていた。あるぜんちな丸、ぶらじる丸…。出身は長崎県島原半島の最南端、口之津(くちのつ)。船乗りの町で、大阪商船三井との関係が非常に深かった。

私が聞いたところでは、戦後、アフリカ沖の遠洋漁業漁船、中国沖の以西底曳漁船、そして、最後は、内航船に乗った。

今の私の主勤務地は山口県周南市。コンビナート工業都市であり、徳山湾内には常時、20隻近くの内航船が停泊する。

今日。取材で行った周防大島に架かる周防大橋も内航船が盛んに行き交う航路だ。

ついさっき、上関では、狭い海峡を小型内航船が通り、驚いた。

「じいさんも通った瀬戸やろか?」
「どの航路を通っていたのか」

無性に聞きたくなった。実家に電話したら、すでに就寝。午後8時半前。

そこで、父の妹に電話した。
そこで得た情報。
・祖父が乗った内航船は5人乗り組みで、小型ではない
・大阪によく行っていた。貨物船。砂利をよく積んでいた
・祖父は50歳すぎごろから内航船乗りとなり、73歳まで乗った。船会社は天草など。数カ月単位での乗務が多かった。

なるほど、なるほど。
祖父が73歳の時、父50歳前、私25歳。
駆け出し記者の頃か。

それがもう51歳。
ちょうど、祖父が内航船乗りに移ったころだ。

ご縁を感じます。

祖父が何度も通った瀬戸内航路のすぐ近くで私は今、仕事をしてることをあらためて実感できました。

「よしぼう!」

祖父が私を呼ぶ声が今もしかと聞こえるようです。

祖父は73歳まで現役だったのか。
すごいな。
心から尊敬します。

じいちゃん!!


■山口県・周防大橋を通る内航船
=本日8月18日16:00撮影
■瀬戸内海の夕陽
=本日8月18日18:47、山口県平生町尾国にて撮影